早いもので
まもなく一か月が経とうとしています。
これまで美都町は国道191号(黄色線)を
通過するだけだったので
未踏の地だらけ。
そんなわけで
美都支所の方に
地図をいただきまして
踏破線(赤線)を書き加えることにしました。
御覧の通り
地図は合併前の
美都町役場時代のもの。
しかも右側の記号(囲み線内)を見ると
「索道(さくどう)」という表記もあります。
益田から終点の匹見・道川まで10駅でつないだ
益田索道が稼働していたのは
昭和26年までなので
貴重な地図です。
この地図の作成年月は不明です。
4月27日の軌跡は
こんな感じ↓。
大久保広兼和紙資料館での取材対応と
丸茂地区を巡りました。
地図が古いので「ここで間違いないか」
確認しつつの
赤線引きとなりました。
丸茂では
国道191号から見えるところで
5軒だったでしょうか。
鯉のぼりが気持ちよく泳いでいました。
また田原?後山?集落では
きれいに草が刈り取られた風景もあって
人の目には触れない場所だけど
持ち主さんの美観に対する
高い意識がうかがえました。
美都行脚、続きます。
まもなく一か月が経とうとしています。
これまで美都町は国道191号(黄色線)を
通過するだけだったので
未踏の地だらけ。
そんなわけで
美都支所の方に
地図をいただきまして
踏破線(赤線)を書き加えることにしました。
御覧の通り
地図は合併前の
美都町役場時代のもの。
しかも右側の記号(囲み線内)を見ると
「索道(さくどう)」という表記もあります。
益田から終点の匹見・道川まで10駅でつないだ
益田索道が稼働していたのは
昭和26年までなので
貴重な地図です。
この地図の作成年月は不明です。
4月27日の軌跡は
こんな感じ↓。
大久保広兼和紙資料館での取材対応と
丸茂地区を巡りました。
地図が古いので「ここで間違いないか」
確認しつつの
赤線引きとなりました。
丸茂では
国道191号から見えるところで
5軒だったでしょうか。
鯉のぼりが気持ちよく泳いでいました。
また田原?後山?集落では
きれいに草が刈り取られた風景もあって
人の目には触れない場所だけど
持ち主さんの美観に対する
高い意識がうかがえました。
美都行脚、続きます。